寝屋川市の地名にもある元号「明和」はどんな時代だったのか?発表された「令和」にも読みがすごく似てる!

ついに5月1日から始まる新しい元号が「令和」(れいわ)だと発表されました。

個人的に第一印象は「2つ前の昭和に似ているような…?」感想を持ったのですが、過去に20回ほど使われている「和」に初登場の「令」を組み合わせることにより、新しい時代にふさわしい元号(典拠も初の万葉集です)として評価されたようですね。

日ごろ寝屋川市の情報を発信している筆者としては、寝屋川市内にある地名「明和」に似ているとも感じました。実は江戸時代に元号としても使用されたことがあるのです。

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過去に元号として使用されている、地名として存在することから、「新しい元号として選ばれる可能性はなかった」という言い方もできそうです。

今回の記事では、そんな元号の「明和」についてまとめてみたいと思います。

元号の明和は、1764年(明和元年)から1772年(明和9年)までの8年間使用されました。ちょうど明治の15個前(宝暦と安永の間)に当たります。(元号の命名にあたっては、今回と同様に書物を典拠としたようです。)

このころの天皇は、後桜町天皇・後桃園天皇。江戸幕府の将軍は第10代の徳川家治です。家治は、田沼意次(のちに賄賂政治として名を馳せます)を側近にし、老中・松平武元らとともに政治を行ったそうです。

wikipediaなどによると、明和4年に江戸幕府が特定の思想を持った人を弾圧した明和事件というものが発生しました。

明和8年には沖縄県の八重山諸島でM7.4の大地震が発生し、その津波で石垣島を中心に1万人以上の人が亡くなったようです。これを「明和の大津波」と呼んでいます。

明和9年には江戸の三大大火と呼ばれる「明和の大火」が発生し、この年は他にも暴風雨などの災害が多かったため、「迷惑年」と呼ばれたのだとか。

天変地異が少なくなることを願って、明和は「安永」に改められる形で終了してしまったようです。

5月に始まる「令和」は災害の少ない時代になると良いですね。(何か元号絡みの記事を書きたいと思って書いてみたいのですが、上手くまとまらなくてすみません。汗)

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