朝から寝屋川市のことがもっと詳しくなれる「寝屋川クイズ」のコーナー!
今回のクイズはこちらです。
Q:1969年に寝屋川市立中央小学校と第一中学校の校地が交換された理由は何でしょう?
(1)第一中学校の生徒が急増して校舎が手狭になったから
(2)中央小学校の児童が府道21号線を横断して通学するのが危険とされたから
(3)今の第一中学校の校舎の方が設備が良かったから
(4)駅前の狭い道路を多くの一中生が通学するのが危険とされたから
正解は、
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2番の「中央小学校の児童が府道21号線を横断して通学するのが危険とされたから」でした!
今回のクイズのソースは「寝屋川市教育史 資料集第3巻」です。その本に各学校の沿革や教育理念などが記述されています。
中央小学校と第一中学校の沿革は、以下の通りです。
・1947年:寝屋川高等女学校(現在の寝屋川高校)などの校舎を借りる形で寝屋川町立中学校が開校
・1948年:町立中学校が南隣の独立校舎(現在の中央小学校の場所)に移転
・1953年:第二中学校の開校に伴い、寝屋川市立第一中学校に改称
・1967年:中央小学校が高宮新町(現在の第一中学校の場所)に開校
・1969年:中央小学校と第一中学校の校地を交換
元々第一中学校は寝屋川高校の南隣(現在の中央小学校の校地)にありました。中央小学校は人口急増期の1967年に高宮新町の五藤池を埋め立てる(埋め立てには豊野浄水場の工事で出た土砂を活用)形で開校しました。
中央小学校は府道21号線・国道170号線の西側の地域(初町、早子町、八坂町、平池町など)を校区とし、児童は全員校区外にある学校(高宮新町)まで両道路を横断して通学していたそうです。(p.306の記述より)
※歩道橋が撤去される前の秦八丁交差点(2014年撮影)
その中で交通量が激増している両道路を渡るのは危険、学校は校区内にあるのがふさわしいという見地から、1968年12月に両校の校地を入れ替えることが決まったのだとか。
校地を交換する際には一中(初町)の補修工事が行われ、器物の交換(職員室・校長室の器物や固定器物はそのまま)も実施されたみたいですよ。
ちなみに南小学校と第七中学校も1973年に校地の交換が行われましたが、こちらは沿革のみの記述で理由については書かれていませんでした。もしかすると同じような理由(萱島から府道21号線を渡って通学するのが危険?)かもしれませんね。
※南小学校(2016年撮影)
小学校と中学校が入れ替わるというのは、他市ではあまりないことなのではないでしょうか。
皆さんは正解しましたか…?明日の寝屋川クイズも、お楽しみに!
【地図】
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