明治から昭和にかけて寝屋川市でさかんに栽培されてた果物は何?【ねやがわクイズ】

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今回のクイズはこちら↓

Q.明治から昭和にかけて寝屋川市でさかんに栽培されていた果物は何でしょう?

a.いちじく
b.なし
c.ぶどう
d.りんご

さて、明治から昭和にかけて寝屋川市でさかんに栽培されていた果物は何なんでしょうか…!









さあ、どうでしょう〜?





正解は、bなしでしたー!

ソースはねやつー編集部が所持している1966年発行の「寝屋川市誌」。

それによると、「大利の梨」との見出しで寝屋川市の特産品と記されています。

歴史は1877年にもさかのぼり、大利町の山中新八という方が栽培を始めたのをきっかけに、1904年〜1905年の日露戦争のころには最盛期を迎え、大利町だけで100人以上の農家の人が梨を作っていたそう。

その後、寝屋川市内のほかの地域にも梨作りは広がり、大阪のみならず神戸や京都にも出荷していたとのことですが、昭和にかけて徐々に衰退していき、1966年時点での栽培農家数は3軒ほどにとどまったようです。

以前ねやつーでも紹介した通り、2015年の寝屋川市内で販売目的で栽培されている果樹は温州みかん、柿、梅のみとのことなので、現在梨の栽培は行われていないみたいですね。

ちなみに、西小学校は当時、地区唯一の学校だったため校章のデザインには梨の花をモチーフにしたそうですよ。1966年の情報ではありますが、校章なんてそうそう変更しなさそうなので、いまでも同デザインのものが採用されているのではないでしょうか?

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